昭和56年、当時は体型もスマートだった。
(見よ!ベレッタ改の100連発?)
狩猟を始めた本当の処猟(昭和56年11月)
JE6XJW坂本氏、JE6BYF私、JH6NKC片岡君、JE6CZP福田氏
向かって左から散弾銃及び飛鳥撃ちの師匠、坂本氏・私・後輩の片岡君(現在ライフル所持)・下に座って居るのが福田氏。
師匠の散弾銃はベレッタ301DX、軽くて回転が良いので、私も師匠の薦めでベレッタ301SDXにしました。
この時は片岡君は銃を持っていなかったので、1年間は指を咥えて付いて回りました。
最初の2年はもっぱら、きじ鳩撃ちで、師匠と競って負けず劣らず鳩を撃ち落としました。
いつも、解禁前日から皆で師匠の家に泊まり込み(師匠には大変迷惑をお掛けしました)、日が昇る前に池に行き先ずは鴨の一番撃ち、それから、きじ鳩の出鳩撃ち、10時くらいに成ると、霜も乾きいよいよ、コジュケイ撃ち、師匠の愛犬のビックがまた、素晴らしい仕事をする、しかし3回ゲーム出して私たちが撃ち漏らすと、怒って家に帰ってしまう。
(飼い主に良く似た犬だ)
師匠の得意技が腰だめでゲームを撃ち落とす。(私もこれだけは真似出来ない)
10年間このメンバーで飛鳥撃ちを楽しみました。
写真には出ていませんが、JE6FYN?氏で別名”歩く空薬莢製造マシン”と呼ばれ、山を半周しないのに腰の弾帯は全て撃ち尽しポケットの弾も撃ち尽し、獲物はと聞くと・・・・
当時、師匠は福岡日産の営業部長をしていて、家には全国販売の銀賞の額縁を幾つも飾っていてトップセールスマンでした。
師匠曰く、”BYF(私の事)お前10年も付き合っていて1台くらい日産の車を買え”しかし私は日産車が嫌いで私がトヨタのランドクルーザーを買った時には大変機嫌を損いました。(しかしどうしてもサファリは好きになれない、しかし今になって考えれば、師匠の気持ちも良く解るが)このあたりから師匠と縁が遠くなったみたい。(本当は師匠に内緒で別の猟友達を師匠の秘密の猟場に連れて行きその日仕事のはずの師匠とバッタリ出会ってしまって・・・)
うーっ(; ;)
師匠は日本酒が好きなので一升瓶でもさげて6年ぶりに遊びにいくかー。
しかし昨年2001年12月25日に癌にてこの世を去られました,享年58歳でした。
(イノシシと変わらないくらいデブになってしまった)
狩猟を始めて13年目で初めて猟友会の協猟会に参加し射獲した猪(♂80kg)。
それまで飛鳥撃ちしか経験が無かったので正直いって恐かったです。
しかしこの日が私の大物猟への開眼の日でも有り,有害駆除隊へ入るきっかけ又,念願のライフル所持のきっかけと成りました。